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サザンオールスターズ 無料視聴動画

YouTube無料視聴で楽しむサザンオールスターズの世界

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1975年、青山学院大学時代、
音楽サークル「Better Days」(ベター・デイズ)のメンバーだった、
桑田さんを中心に母体となるバンドが結成されました。

初期の頃は「温泉あんまももひきバンド」「ピストン桑田とシリンダーズ」
「ピストン桑田と脳卒中」「桑田佳祐とヒッチコック劇場」など、
桑田さんらしい奇抜なバンド名で活動していて、

コンテストの度に、バンド名とメンバーを変更していたそうですが、
最終的には原由子さん参加の際、桑田さんの青学時代の同級生である、
宮治淳一(現:W.M・ジャパンストラテジック本部シニア・チーフプロデューサー)が

サザンロックと、アメリカサルサグループ、ファニアオールスターズを組み合わせた、
「サザンオールスターズ」を入浴中にふと思いつき、
それをそのまま使用することとなったそうです。

この「オールスターズ」には意味があって、
「これ以上バンド名を考えるのが面倒だった」という理由のほかに、
桑田以外にメンバーチェンジがあってもいいよう、
流動的に入れ替わる全てのメンバーを総称してのバンド名という意味もあって、
当初は「桑田佳祐&サザンオールスターズ」と名乗っていた時期も存在します。

「サザンオールスターズ」名義での最初のライブは、
サザンの公式ページには1976年4月11日と記されており、

この時桑田は、
「じゃあ司会が『サザンオールスターズの皆さんです』と紹介したら出るんだな?」と、
段取りの確認を行っただけだったようです。

何度かのメンバーチェンジの後、1977年にアマチュアバンドのコンクールである、
「ヤマハEastWest '77」に出場し、桑田がベストボーカル賞を獲得。
この頃には青学生ではなかった松田弘・野沢秀行も加わり、
メンバーはデビュー時の6人に固まった。

この編成は、サザン・ロックの雄・リトル・フィートの、
リードギター・サイドギター・ベース・ドラムス、
キーボード・パーカッションの6人編成と同じという所以もある。

メンバーの一人野沢秀行氏は、当時はセミプロとして活動していて、
バンドへの参加を断り続けていたが、コンクール出場が決定した際に、
突如参加することになったという経緯があった。

冗談ではあるが、この後メンバーによって
「知らない間に野沢がメンバーに加わっていた」
「現在も正式メンバーではない」ともいわれています。

この頃には頭部分の「桑田佳祐 &」が取れ、
グループ名がサザンオールスターズとなる。
なお、原の著書によればこの頃に一度だけ、
「パロディハウス」という名前に変えようとしたが、
「ダサい」との理由で即サザンオールスターズに戻したという。

公式ページではこの1972年から1977年までを「夜明け前」と呼称している。

当初は独特かつ奇抜なその音楽性が敬遠され、
大手の事務所はサザンを敬遠していたが、
当時新興事務所であったアミューズの大里洋吉社長(当時)が、
「フォークソングの時代は終わり、これからはロックの時代が来る」、
という判断の下でスカウトした。

また、大森と大里がデビューにむけて着々と準備を進めるなか、
焦ったためか桑田がワーナー・パイオニアと、
レコード契約を結んでしまったというエピソードもある。
この件は関係者が出向いて話を収めたという。

1978年6月25日にシングル『勝手にシンドバッド』で、
ビクター音楽産業(現・ビクターエンタテインメント)からデビューし、
それまであった歌謡曲やロックなどのジャンルにとらわれない、
衝撃的な印象を世間に与えました。

年内には同曲のスマッシュヒットで一躍スターダムにのし上がりましたがだが、
当初は桑田の「目立ちたがり屋の芸人です」発言。
(ただしこれらの発言などは全て台本に沿って行っただけであると後年明かす)。

ジョギングシャツ+ジョギングパンツスタイル
(桑田によると、事務所から衣装代として1万円が渡され、
たまたま入ったスポーツ用品店の店員が「まけてくれる」と言ったことから、
なんとなく着ただけであるとのこと)。

「何を言っているか聞き取れない」と言われた歌などから、
コミックバンドと評される向きもあった。

原の回想によると、某番組内でウルトラ警備隊のコスプレをさせられ、
「とても恥ずかしい思いをした」、と語っています。

デビューに際し、当時はテレビへの出演拒否を、
大々的に行うフォークシンガーを中心としたミュージシャンが多い中で、
事務所側はあえて『ザ・ベストテン』等の音楽番組に積極的に出演させ、

ドラマ・CM等のタイアップを図る等のやり方で、
お茶の間層の取り込みを狙うという戦略を取っていました。

翌年の3月25日に発売した3rdシングル『いとしのエリー』の発表後から、
「本格派の音楽バンド」という評価を受け始めるようになり、
その人気を確実なものにしました。

しかし、その中での多忙な生活は桑田を苦しめ、
一時期ノイローゼになるほどに疲れきっていたと後に語っています。

そのような中“FIVE ROCK SHOW”と銘打って、
「テレビなどに一切出ず、楽曲製作やレコーディングに集中する」と発表。
 

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